映画「攻殻機動隊」(1995年版)Amazon Prime ビデオ〜「私」とは何か〜

熱狂的なファンがいることは知っていたが、完成度の高い作品だった。

95年(Amazon Primeビデオの表記は96年)の作品だが、インターネットや人工知能などの科学描写は30年経っても色褪せなかった。

科学技術が発達した先の人間そのものの定義を問い直すという、普遍的なテーマだけに今のAI時代に十分通用する作品で、それだけでも圧倒される。

30年前の作品なの〜?!

人工ボディの製作、情報の海の視覚化、キーボードの描写や、各種センサーなど、ADSL時代とは言われないと感じないと思う。

スターウォーズ初期作品を見ている時の、どこかレトロホッコリした雰囲気がほぼ無いのだ。

おそらく、現実の技術や装置を細かく描写するのではなく、情報や機械がもたらすものの概念的な描写にしているのが功を奏しているのだと思う。

何をもって「私」なのか

哲学的な複雑な話なのかと思いきや、テーマ一本を愚直に描き切る姿勢に好感が持てた。

テクノロジーを用いた派手さや、個を扱う深淵を見せつけるのではなく、電脳世界がもたらす拡張によって人のアイデンティティを問い直すというストーリーラインのみを真摯に追求していたからだ。

ラスト残り30分で、ここから派手な銃撃戦をしていると物語がおわらないのでは?!と心配になったが、心配ご無用。

さっと必要なエピソードだけを詰め込んで終わるので、静かに心に響く作品になっていたのである。

超越して初めて、見えるものがある

特に、劇中に引用されているコリントの信徒への手紙が痛烈なメッセージとして心に残っている。

童(わらべ)のときは

語ることも童のごとく

思うことも童のごとく

論ずることも童のごとくなりしが

人となりては童のことを捨てたり


途中のダイビングのシーンでの、世界の広がりがあれど個であるがゆえに限界や制約があるというのと対句になっているセリフだ。

自分は自分でしかあれないということ

人生の折々の挫折や厳しい状況の際に、自分は他の誰かになるのではなく、自分のままで時間が経過していくのだなぁ、ということを痛感してきた。

それだけに素子が最後、外の世界と融合して、新たな自分として生きていくエンドは非常に希望が持てた。

完成度の高い作品を見られた幸せと、なんで光学迷彩全裸スーツなのかなというサービスシーンへの愉快さと、人生へのエールのような作品に思い出してもほっこりするのだった。